南北首脳会談で「アレ?」という感じのいい人を演じた金正恩。
米朝首脳会談を前に対米強硬とけん制を繰り返したり、習近平に接近したり、様々な策を弄しているところだろう。
金正恩の立場で考えると、自分がどうやったら生き延びられるか、まさに今が正念場なのだ。
小太りの男自身もそう認識し、ビビッて緊張感のある毎日を過ごしていることだろう。
なぜなら金正恩と同じように軍部をバックにした強権政治を長期間続けてきた過去の独裁者は、みんな、悲惨な最期を迎えているからだ。
特にアジアから中東・アフリカ地域にけけては金正恩と同様の強権的独裁的指導者が数多く生まれてきた。
まず、インドネシアのスハルト氏。
1965年クーデターを利用してデビ夫人の旦那であったスカルノ大統領を蹴落とし、30年にわたる長期独裁政権をつくり、恐怖政治を展開した。
1998年反政府活動や暴動が激化し大統領を辞任したものの、過去の様々な不正蓄財を暴かれ、一族郎党が悲惨な最期を迎えた。
フィリピンのマルコス氏。
1965年大統領に就任し軍部を掌握し強権政治を展開した。
1986年国内の反政府活動を戒厳令を出して抑え込もうとしたが、結局、米国に亡命し死んだ。
言わずと知れたイラクのフセイン氏。
1979年大統領に就任すると粛清と暗殺と投獄で反対派を消し権力を掌握。
イランで起こったシーア派のイスラム革命の拡大を回避するためのイランイラク戦争で頭角を現し、独裁強権政権を樹立し長期にわたって維持してきた。
しかし、最後は核兵器開発等の疑惑で米軍イラク侵攻を招き、アウト、2003年投獄され、その後死刑を執行された。
さらにリビアのカダフィ大佐。
1969年クーデターで政権を掌握すると、長期強権独裁政権をつくった。
反米汎アラブ主義を展開し米国から狂犬と呼ばれた男も、2011年アラブの春、ジャスミン革命で反政府勢力に屈し殺害された。
こうした強権的独裁者の末路を金正恩もよく知っているはずだ。
大体、独裁者が政治体制が変更された後も生き残ったという例は記憶にないし、あっても非常に少ないだろう。
もし、朝鮮半島が完全な非核化を達成すれば、平和協定に金正恩自身の安全を保証する何かしらの条項を入れようとするんだろうなと想像できる。
この状況下、金正恩にとっては自身の保身が最重要課題だからだ。
逆に米韓からすれば、金正恩の安全と引き換えに朝鮮半島の完全な非核化を実現していくことになる。
でも、その先は読めない。
米朝首脳会談を前に対米強硬とけん制を繰り返したり、習近平に接近したり、様々な策を弄しているところだろう。
金正恩の立場で考えると、自分がどうやったら生き延びられるか、まさに今が正念場なのだ。
小太りの男自身もそう認識し、ビビッて緊張感のある毎日を過ごしていることだろう。
なぜなら金正恩と同じように軍部をバックにした強権政治を長期間続けてきた過去の独裁者は、みんな、悲惨な最期を迎えているからだ。
特にアジアから中東・アフリカ地域にけけては金正恩と同様の強権的独裁的指導者が数多く生まれてきた。
まず、インドネシアのスハルト氏。
1965年クーデターを利用してデビ夫人の旦那であったスカルノ大統領を蹴落とし、30年にわたる長期独裁政権をつくり、恐怖政治を展開した。
1998年反政府活動や暴動が激化し大統領を辞任したものの、過去の様々な不正蓄財を暴かれ、一族郎党が悲惨な最期を迎えた。
フィリピンのマルコス氏。
1965年大統領に就任し軍部を掌握し強権政治を展開した。
1986年国内の反政府活動を戒厳令を出して抑え込もうとしたが、結局、米国に亡命し死んだ。
言わずと知れたイラクのフセイン氏。
1979年大統領に就任すると粛清と暗殺と投獄で反対派を消し権力を掌握。
イランで起こったシーア派のイスラム革命の拡大を回避するためのイランイラク戦争で頭角を現し、独裁強権政権を樹立し長期にわたって維持してきた。
しかし、最後は核兵器開発等の疑惑で米軍イラク侵攻を招き、アウト、2003年投獄され、その後死刑を執行された。
さらにリビアのカダフィ大佐。
1969年クーデターで政権を掌握すると、長期強権独裁政権をつくった。
反米汎アラブ主義を展開し米国から狂犬と呼ばれた男も、2011年アラブの春、ジャスミン革命で反政府勢力に屈し殺害された。
こうした強権的独裁者の末路を金正恩もよく知っているはずだ。
大体、独裁者が政治体制が変更された後も生き残ったという例は記憶にないし、あっても非常に少ないだろう。
もし、朝鮮半島が完全な非核化を達成すれば、平和協定に金正恩自身の安全を保証する何かしらの条項を入れようとするんだろうなと想像できる。
この状況下、金正恩にとっては自身の保身が最重要課題だからだ。
逆に米韓からすれば、金正恩の安全と引き換えに朝鮮半島の完全な非核化を実現していくことになる。
でも、その先は読めない。