
「ブリンクマンシップ」という英語がある、日本語では「瀬戸際外交」と訳されるが、別に外交の問題だけではない。
相手をギリギリのところに追い込んで自分の意思を通す一種の交渉術で、イギリス人の得意とする交渉術でもある。
今回の英国のEU離脱に関しての英国議会はそんなブリンクマンシップを楽しんでいるのかと思ったけど、ここまで議会は分裂していしまうと、ブリンクマンシップどころではなく議会機能の限界と考えるべきだったと改めて思う。
そもそも問題の始まりは、国民投票、レファレンダムだった。
これは直接民主主義で、国民全員に民意を問う究極の民主主義だが・・・素人ばかりの国民が十分な情報も与えられずに判断することがいいのかどうか? また、民主主義の手続き上の位置づけも曖昧なまま国民の意思としてどこまで尊重すべきなのか? などの問題は解決していない。
かつてルソーは「社会契約論」で、一定数の人間がいて、その間に社会契約が結ばれ、共同体が生み出される、その人々の間で単なる妥協ではない「本音の」一般意思が作られるとした。
でもこうした直接民主主義は現実的に技術的に難しいので、近代国家では人々の代表を選挙で選び、その代表たちによる意思決定を共同体の意思とした間接民主主義になった。
でも、この情報化社会で無限の情報処理が可能になるとしたら、実際にルソーの言う一般意思をコンピュータで計算できるかもしれない・・・それを一般意思2.0と上記の本では定義している。
現代社会の膨大な情報処理能力を使って一般意思を導き出せるとしたら、今の議会制民主主義は大きく変わることになる。
しかし、こうした次世代の情報化社会を想像して、今回の英国の国民投票とその後の議会の混乱を見ると、現在の国民投票で一般意思2.0ができるのか疑問だ。
つまり、国民投票の時には、アイルランドでの国境問題、ホンダやその他の企業の英国撤退、大手銀行のロンドン脱出、などなど多くの英国民が想定していたどうか怪しく、単に中東移民が欧州に押し寄せてきたのをみてEUから離脱しようとしただけではないかもしれない。
そんな反移民の雰囲気の中での国民投票とEU離脱は本当に英国民の意思だったのかと疑問を感じる。
ルソー流に言えば一面的な妥協で決めてしまった特殊意思で、国民の「本音」としての一般意思ではなかったのではないかとも思える。
そして国民投票の結果を重視しているメイ政権は国民が何回も離脱案を提出しては否決されるという事を繰り返している。
国民投票は「EU離脱に対して、YES OR NO」だが、人々の本音はおそらく複雑なのだろう。
たとえば選択肢を、「アイルランドの国境問題」「ホンダの英国撤退」「中東移民の流入阻止」・・・と詳細設定し国民に問う・・・すると、例えば、「EU離脱はYES、アイルランド国境はNO、ホンダの英国撤退はNO、中東移民にYES・・・」と民意が細かく出てくる。
それをコンピュータで最適化計算する・・すると、「EUを離脱して、北アイルランドを特別区にして国境なしに、EUと自由貿易協定を結び自動車関税をゼロに、移民管理を強化」などという結果が出る。
これはルソーの言う一般意思とはちょっと違うかもしれないが、単純なYES/NO投票よりも余程細かく民意を最適化できる。
こうした国民投票ができたら、もっと現実感にあるEU離脱案が出てきたのではないだろうか。
また、そんな民主主義制度ができたら、膨大な税金を使って議会を維持する必要はなくなる。
国民は様々な政治問題に対して、必要な情報をスマホで取って、自分で考えて、スマホで投票するだけでよい。
民主主義のコストは高い・・・日本でも国会だけで約700人の議員に毎年数千万円(給料+活動費その他)を払っているし、県議会、区議会え入れたら膨大な税金が投入されている・・・大きく政治制度が変わるかもしれない。
意見を表明する議員だけに定数削減して・・・大幅なコスト削減を達成し、予算などの技術的に困難な議案を除いて直接民主主義で行うという世界がくるかもしれない。
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